2011年5月13日 (金)

はれ、ときどきナミダ

昨日、上原美優の自殺を知り、何だか心に重たいものを感じた。

特段、彼女の事が好きだったわけでもなく、ましてやファンでもなかったのだが、普段のテレビ視聴において度々彼女の姿を拝見して来た。

その単なる一タレントの自殺で少なからずショックを受けたのは、その年齢にある。享年24歳という若さは、40歳に迫ろうとする自分から観て、シンプルに"勿体無い"としか言いようがない。

報道された情報だけでは自殺の真相は判らないが、それは恋愛だったり仕事だったり母親の死による喪失感や、また孤独感だったりするのかと推測する。確かに20代なんて想い悩むし、どれも当人にとって重大なのもよく判る。だが、もう少し生きてみれば、どれもこれもがそんなに大した問題で無いと気付けた筈なので、それを想うとどうにもこの胸が痛いのだ。

生きることは辛いし苦しいものだと若い頃は感じていた。面倒臭いことも多いし、何かとしんどい。

だが、生まれたことはそれだけでハッピーなのではないだろうかと近頃想うようになった。

もしも命というものが生まれ変わるとしても、人間に生まれ変われるのなんてのは宝くじで数億円当たるくらいラッキーなことなんじゃないかと。(残念賞の300円とかが虫とかそんなもので。)

だから自殺なんかしちゃ"まる損"だと想うのだ。生まれたからにはせめて全部遣い切って死んでやるくらいの気持ちであるべきなのだ。

こないだ怪談師の星野しづくという謎の女性と仏壇の前で対談した時、「自殺したら本来の寿命が尽きるまでその場に縛られ続ける」みたいな説を聴いたことがある。この説に妙に感心してしまったのだが、それは"自殺の抑止"としてその考え方はなかなかアリだな、と想ったと同時に、その意味をもっと深く考えると、「たとえ自分の命であっても、自分で価値を付けてはいけない。」という含みがある様な気がするからだ。

神を信じよ、とは言わない。しかし、人間如きを超えた存在が何処かに在って、ただ生かされているのだと想えば、少しは心も軽くなりはしないだろうか。

死んで無になり、この世から消滅する。

誰もが当たり前にやがてそうなるのだ。

-死は解放ではない。

故に、

自ら死を選択する資格など人間には無い。

そう彼女に伝えたかった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2006年12月31日 (日)

お世話になりました

今年は本当に色々とお世話になりました。

毎日1更新を目標に去年末から始めたブログでしたが、

意外とつらい日もあったけれど、

モナラーの皆様のおかげでなんとか達成できました。

気がつけばまさか自分でポッドキャスト番組までもブログ内で展開していたりして、

正直驚きです。

来年は、もっと目標を大きく、

1更新程度じゃ済まない怒涛の更新を目指したいと想います。

CD聴いても感想とか書くのがめんどいので今年はほとんどスルーしてたりしましたが、

来年はその日にホントに聴いたアルバムのタイトルくらいは記載出来たら楽しいカナとか想ったりしてマス。

・・・とことん更新してやりましょう。。。(w

ポッドキャスト版ももっと出鱈目なものを創りたいです。

来年もどうぞヨロシクお願いいたします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2006年2月13日 (月)

毒電波

最近は原因不明でまた体調がおかしい。

しかも体調だけでなく、

ビデオデッキが再生できなくなったり、

パソでdvd焼く事も出来なくなったり、

Dvdデッキもちょっと再生が不具合気味だったり、

なんだか妙なことばかり。

そんな妙な状態の原因を頭で探っていると、

先週の木曜日の晩、

『ナインティナインのオールナイトニッポン』を録音してたのだが、

そのとき、やたらとノイズが激しかったのを憶い出した。

そうだ。

確かにその翌日から不眠気味になって妙に体調が悪かった気がする。

・・・なんか怪しい電波でも飛んでんのかな?

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|