2004年2月 2日 (月)

第壱拾九発『導かれし者たち』

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我輩はコンピュウタ・ゲエム等に明け暮れて居る輩を徹底的に蔑視して居る。(別紙
参照)

子供なら多少は理解出来るが、
弐拾歳以上の成人で家庭用ゲエム機を恥ずかし気も無く所持して居る者等、
愚の骨頂である。

愚が大きい。

近頃のゲエムと云えば、
我輩が少年時代にゲエムセンターで出っ歯でプレイして居た頃とは違い、
非常に容量(内容)もでかく、
とかく時間を要する物だ。

グラフィツクも色彩だけを採っても、
素晴らしく絢爛豪華で、
我輩ですら圧倒されたのをかすかな記憶に覚えて居る。

その御陰で、
最近のゲエムは「大人の鑑賞に堪え得る」娯楽として捕えられガチだが、
我輩からすれば、
そんな物に時間を浪費する愚者など、
到底大人で在ると認める訳にはいかない。

大人と云えば、
生活の大半を仕事に費やし、
睡眠時間を差し引くと、
かなり時間に追われる様な日々を過して居る。

かく云う我輩も、
仕事と性交だけで毎日を終えてしまって居る。

そんな大人が、
一日何時間もゲエムしたりするなど、
到底可能な筈が無い。

そんな奴等は、
バァチャル世界に入り浸る引篭りだ。

しかも頭が悪い。

ゲエムの映像がいくら綺麗になった処で、
ゲエム自体の奥行きなど昔と較べても然程差が在る訳でも無い。

幾ら3Dっぽく観え様が、
其れは演出効果として3D画像を混入して居るだけで所詮は2Dの世界だ。

其れ程度を見破れないのが奴等の愚かさの真髄。

単純な視覚効果に踊らされて居るだけだ。

是の様な弁を垂れると、
頭の善い人もゲエムをするではないか、と云う、
糞ショウムナイ意見をホザク呆けも居るが、
其の理由はこうである。

輩の云う、
頭の善い人とは勉学の達者な凡賊の事だろうが、
奴等は持ち前の記憶力や集中力を現実で発揮出来ない場合、
ゲエム世界に逃避する傾向にある。

一般に、
受験勉強等、
社会では糞の訳にも立たぬのは周知の事実だが、
其の勉学に必要な才能は取り分けゲエム世界には向いて居る。

RPG(ロヲル・プレイング・ゲエム)等は特に顕著に其れが表れて居る。

ちまちまとした経験を積み重ね、
製作者の創ったレエルの上を歩き、
数々のイヴェントと云うドリルをこなす事に因って、
受験合格へのエンディング迄歩き続けるだけだ。

人生に目的が無い為、
股は目先の目的すら自分で観付けられない無能力の為、
一時的な達成感を与えてくれるゲエムなる単純な仮想世界(:matrix)に没する事で、
奴等は癒されたいのだ。

しかも妙に記憶力が善い為、
感動的な場面、高揚した場面を忘れられないので意馬心猿、
幾度となく同じ高揚を求めては次の作品へ手を伸ばす様になる。

正に奴等にとってはRPGは猿のオナニイの様な物なのだ。

そして、
ゲエム世界は己が主役で、
自身以外に他者は存在しない。

其のユウトピア感が奴等の腐敗した精神の温床だ。

果たして、
其の様に安易に結果ばかりを求める輩を頭が善い等とは誰が云えるだろう。

更に、
其れが大人だとは誰も云えマイテ(:mayte)。

本当に頭が善く、
大人と云う人種は、
目的と結果を自分自身で考え編み出せる賢者の事だ。

論が是の様に展開すると、
インドア派を滅し、
アウトドア派を推進するかと想われるかも知れぬので、
鬼を改めて追記するが、
アウトドア派とて我輩の間引きの対象の外ではない。

サバイバルなら兎も角、
キャンプだの何だのと、
尤もらしく山や河縁等で過すのも股、
只の遊びに過ぎない。

先にも述べた様に、
我輩は「大人が遊ぶな」と云いたいのだ。

いや、
正確には「大人が遊ばさせるな」と云いたいのである。

ゲエムしかり、
キャンプしかり、
死ぬ程エンジヨイしようが、
結局は何者かの意図に操られるが侭に、
垂れ流された情報の中で、
踊らされる傀儡に過ぎないのだ。

幾らコントロヲラでキヤラクタを操り、
支配者を気取ろうとも、
貴様が製作者に操られていては只の犬なのだ。

アウトドア派を気取り、
休日に自然と触れ合おうとも、
自らで知恵を絞って考えた企画でない以上、
貴様は負け犬でしかない。

そんな犬こそが、
我輩の心より侮蔑する「プレイヤー」と分類される種である。

自らのアイデアで遊べない様な輩に、
性交が巧い者など居ない。

性技は新しい想像力でのみ、
進化するものなのである。

だから、
同志よ。

与えられた遊びを捨て、
貴様の女をもて遊べ!!

自在にクリトローラーを操作し、
エクスタシイの難関をクリアせよ!!!

大人に必要なのは、
熟した時間だ。

スウパア・マリオよりもエロく!!

テトリスよりも堅実に時間を埋めろ!!

女の総ての穴を埋め尽すのだ。

叫べ、
同志よ!!!!!!

鬼武者よりも亀頭武者となり、
ホテルのベッドでクルクルランドをプレイせよ!!!

タカラ、
同史よ!!!!!!

ドラクエより魔羅喰え!!!!

目指せ!!!
ファイナル・エクスタシー!!!!

ベッドの上が、
我等のプレイ・ステイション!!!!

ファミコンよりミスコン!!!!!!

ジョイ・スティツクは操作自在に女を逝かす!!!!

彼女の乳首を壱拾六連射だ!!!!!!!

ダラー!!!!!

現在、
新しい性技を特許申請中。

バンダーイ!!!!!!!!

【参考文献】

『ゲームの達人』シドニィ・シェルダン
『ロールプレイング・ゲームの達人』多摩 豊
『おじいさんの知恵袋―アウトドアの達人 親から子に伝える本』生活の知恵保存会
『高橋名人のおもしろゲーム教室』高橋利幸
『大冒険術―ぼくらはなぜ世界に挑むのか』野口 健・白石 康次郎
『アウトドア・ものローグ』芦沢 一洋
『アウトドアの掟』橋本 厳
『エジプトがすきだから。』k.m.p.
『ブラックバス釣り入門』平本正博
『ネイチャースキーに行こう』橋谷晃
『鬼武者3最速虎ノ巻』スタジオベントスタッフ
『任天堂が危ない』馬場宏尚
『ファミリーコンピュータ 1983-1994』東京都写真美術館
『真・三國無双3 コンプリートガイド』オメガフォース
『 はるかな国・とおい昔』W.H. ハドソン
『志村流 遊び術』志村 けん
『大人の性技講座―女性の性感メカニズムに基づいた究極の実践理論』井上 剛一
『女の性感を倍増させる指技入門』増田豊
『秘技伝授』加藤 鷹

 

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2004年1月21日 (水)

第壱拾八発『脂肪遊戯』

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この世で一番醜い物と云えば、
人それぞれに様々な物が徒然なるままに連想ゲームされると想う訳だが、
我輩は性根よりデーヴな奴(:David)が兎に角、
機雷である。

我輩は幼少の頃より未だ(:koji1200)、
阪神淡路大震災の原因は複数のテーヴが同時にコケたからだと信じて居る程だ。

何故にこんなにもデーヴが厭いかと云うと、
まず、何よりも奴等は明かに「喰べ過ぎ」である。

ガメツさの象徴とでも云おうか、
其れが観ていて実に醜い。

人間の行動には少なからず理由が在る。

此の場合、
其れが燃料補給の為の範疇で在るならば、
当然ながら理解は出来る。

だが、
デーヴ人間が必要以上に喰い「過ぎる」のには、
燃料補給以外の別の理由が発生して居るからこそだと云える。

譬えば、
一般にヤケ喰いに象徴される「ストレス発散」が其れである。

後は、
「喰わなきゃ損」的な貧乏性や、
他にする事(:楽しみ)が無いと云った自堕落・無教養・怠慢的要因、
其れくらいの理由しか見当たら無い。

要するに、
食する事に執着するタイプの逃避的な人間がデーヴになるのだ。

デーヴで無い人間は、
厭が央でも自然と、
仕事や遊びでストレスを発散してしまうものだ。

譬えば、
我輩の様に性交に寄って総てを発散する者も居れば、
他にも、
フェラッチョ(:F)で発散する者、
アナル・ファック(:AF)で発散する者、
スカトロ・プレイ(:SP)で発散する者、
smプレイ(:SM)で発散する者、
鼻フック(:HF)で発散する者、
3p(:3P)で発散する者、
スワッピングー(:pingu)で発散する者等も居る。

其の常人の心裏としては、
食に発露を求めると「デーヴ」と云うレッテルを貼られる俗世間の冷酷さを知るが故、
極力「昇華」を別の路線に乗り換えて女も乗り換えて電車も新快速に乗り換えて居る
訳だ。

「昇華」を「消化」と云い換えても善いでしょうか。

我々はストレスを消化出来る脳内胃袋を持って居るのだ。

「肥えた男は徹底的にモテない。」

話はやや逸れるが、
其の理由は、
恐らく身体の肥大化に伴って、
対比的に珍宝(:san)が小さく感じられるからではないかと我輩の息子が云って居た。

其れはさて置き、
そう云った常識(:moral)が我輩を創めとする青年男仔の無意識下に浸透して居るから
こそ、
我々を「脱・デーヴ主義」へと向かわせて居るのだろう。

オスとして産まれたからには、
メスにモテたくない訳はない。
キッスは眼にしろ。
押忍。

其れはデーヴとて同じ。

したがって、
誰しも「デーヴに成りたくて成っている訳では無い」と云う事が理論付けられる。

そう云う意味では、
デーヴに成りたくてデーヴに成った関取はデーヴに類しない。
あれは相撲に強く成る為の一要素として重量増加を望むものであり、
ボティービルダーが身体を鍛えるのと同意だ。
だからこそ女史にもモテる。

なのに、
其れでもデーヴがデーヴで在り続けると云うならば、
結局、
テーヴはデーヴであると云う時点で、
他者との子孫繁栄生殖競走から脱落、
股は、
競走を放棄した種で在る敗北者だと両断(:kill bill)される。

そして、
連中は今日も其の溜め込んだ負のエネルギーを、
脳味噌遣ってエネルギーを消費する事すらせず、
更に食物を喰らう事で打ち消そうとするのだ。

其の姿をミットも無いと想わぬか?
草野球のキャッチャーよ。

我輩は虫唾が走る。

しかも、
奴等の不愉快さは其の存在に留まらないから性質が悪い。

奴等に因って現実に、
我々の私生活にも悪影響が及ぼされて居るのだ。

先ず、
彼等とワリカンで御飯を召し上がった時、
我輩が少食動物なのに対し、
奴等は其の何倍も喰らいながら、
同じ金額しか支払わない。

明かに貴様等デーヴの方が喰って居るのに、
何故、我々の様な善良市民(:sim)が貴様等(:pig)の食費を負担してやらねばならぬのだ。

ボランティアか、
呆けが。

せめて我々を楽しませるだけのピロウ・トークでも出来れば善いが、
大抵が不努力体質のデーヴ達には常日頃からの蓄えたトリビア・ネタ等無いのは周知
の事実。

何も望めやしない。

まぁ、其れは大人ちん気ない話だが、
今の豊(:ozaki)な日本(:Japan)であるから善いものの、
何れ世界的な食料危機が訪れた時には、
まず真っ先に間引きしたいと想う。

股、
路地裏、社内通路、通勤電車内、エレヴェーター・アクション、
何処にデーヴが居り腐っても、
暑苦しいわ、忙しいわ、つまんないわ、
僕はいつも独りきりだ。

君に逢いたい。

社会に生きる存在として、
一瞬でも他人に圧迫感を与えるのは、
単純明快に罪悪と認証されてもいたしかたアルマーニ。

異常の様な理由から、
我輩はデーヴを認めないのである。

「実家太り」のコデブちゃんも当然含む。
親に出されるがままに食する事なかれ。
其れは選択の思考を停滞して居るからだ。

貴様等もきっちり約5kg分のデーヴ扱いさせて戴く。

元々、
デーヴを創り上げたのは、
親子関係・家庭環境にも根本が在る。

デーヴの仔がデーヴなのは、
親デーヴの主観で大量の食を付与されるから仔が肥えるのだ。

上に述べた、
「実家太り」では、
親がぬくぬくと餓鬼を甘やかしているのが証拠だ。

だからデーヴは大人に成ろうとも他人への依存心が強く、
暑苦しい迷惑も顧みず、
必要以上に我々に憑いて廻るのだろう。

この様な種を、
ブタ・ストーカー(BS)と是からはラベリングして滅却したい。

此処に我輩は狂舌する。

男も女も、
ストマックでなく、
ストイックに生きよ。

生きろ。
そなたは美しい。

脂肪は乳房だけで十分!!

男に乳などいらぬ!!

ぷよぷよの腹では貴様は倒産するぞ!!

ぷよぷよだけにデーヴ同士がくっつくなッ!!
この世から消滅したいか!?

おいおい、
何がケーキは別腹だッ、
糞豚女!!

俺はベル薔薇だ!!

其処のデーヴ女!!
貴様は妊娠15年かッ!!!!

この世のデーヴ全員の死亡を、
心より志望する。

2004.1.21

【参考文献】

『デブの真実』松村邦洋
『ハゲ・デブ殺人事件』つかこうへい
『僕はデブSHOW』森永 あきら
『デブの帝国―いかにしてアメリカは肥満大国となったのか』グレッグ・クライ
ツァー
『豚の報い』又吉栄喜
『ラーラはただのデブ』シェリー ベネット
『ガダラの豚』中島らも
『もう、デブとは呼ばせない―15キロ減に成功した私のダイエット日記』竹内都子
『パラサイト デブ』都あきこ
『ぼくのおかあさんはでぶだぞ』そうまこうへい
『ファット・キャッツ―デブねこっち』H.D.R. キャンベル
『日本焼肉物語』宮塚利雄
『11ぴきのねことぶた』馬場 のぼる
『源氏に愛された女たち』渡辺淳一
『王妃の離婚』佐藤賢一
『うめく配水管』伊藤潤二
『メイドなります!―彼女は幼なじみ』青橋由高
『世界拷問刑罰史』晨永光彦
『爆乳娘拷問地獄』巫代凪遠
『死刑執行中脱獄進行中』荒木飛呂彦

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2004年1月10日 (土)

第壱拾七発『君といつまでも』

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壱回入れて壱杯イカせる、
駅弁留学中のノヴァな我輩だが、
最近、此の小さなボインに聊か気になる木な事柄を胎受して居る。

つまりは我輩、
近所の闇市場を散策して居る際に、
近頃何とも大量なるdvdの量産されて居る事に驚愕した訳である。

ヴィデオ(:vtr)時代も然る事ながら、
何故に世の民は此れ程迄に映画を中心とした映像ソフトなぞを所有したがるのか我輩
には気狂いピエロに想えてならない。

ざっと我輩の伊達眼鏡で見渡しただけでも、
数千にも及ぶ種の映画dvdが店頭処狭しと陳ぽ列され、
洋画から邦画迄、
恰もシネコンならぬ乱交状態ではないか。

しかも誰もが繰り返し観た経験の在る超大作や名画ばかりで、
微塵も眼新しさ無き始末。

果して此の乱射状態に如何成る意味が在るのかと疑問に駆られた次第で在る。

よく映画ファンと称する人種と朝迄生討論する際、
貸しヴィデオで観たとかぬかすチンカスが居る。

dvdの出現に因る「自宅シアタァ化」に対しても想うのだが、
中途半端に巨大なモニターや、
伍・壱ちゃんねる対応のヘヴォ・システムを導入した処で、
映画館のスクリイン及びスピイカアを超える程の音質や迫力、
臨場感には遠く及ばないものだ。

大体からして、
巣箱の様な賃貸暮らしの分際で、
如何程の大音量で映画を楽しめるものか、と
我輩は乳頭を大にして云いたい。

某・森田氏や某・若孫マイケルの様に、
地下室を完全に映画観賞施設として所持するならばまだ話も判るが、
大した財力も無く、
生き甲斐も精力も無い小市民如きが、
何を映画館気取りで気軽に自宅で映画を楽しんで居るのか、と、
異議申したい処である。

せめて映画艦に匹敵する設備を整えてからdvdを購乳せよ。

そもそも、
映画艦はそんな環境を持てない一般貧民の為の娯楽として、
個人にかかる単価を安く、
なるべく良質な環境で映画を楽しんで戴ける様に創られた施設で在る。

以上の事から、
映画館での観賞こそが真の映画観賞で在ると証明付けられる。

其れは突き詰めると、
映画作品の壱つ壱つが「多くの人々が共有する文化」で在り、
簡単に云えば「公共物」で在り、
顔射在りモハメド在りと云う事に繋がる。

其の本来の目的からしても、
多くの女と性文化を共有する我輩としては、
dvdで「公共物」を孤独の中に独占私有する輩は惨殺に値する心の卑しい人間に想え
てならない。

股、
映画が発明され、娯楽として定着した後、
若者がデエトの場として映画館を利用した時代が在ったし、
現在も其の風習は廃れては居ない。

其れは、
ジャンルを問わず、
映画と云う存在が、
今も昔も案山子も男女弐人の共有した「風景」として流れる、
壱篇の憶い出ぽろぽろだからで在る。

そう、
映画とは憶い出に密着して居る。

其れは何故かと云うと、
映画世界には其の瞬間を封じ込めるだけの総合的な価値が在るからだ。

映像ましてや音声・音楽、
横で身体中をまさぐる我輩の手の感触、
映画の世界には其れ以上の、
あらゆるリアルな要素が付き纏う。

故に恋人達は映画を恰も安価の温泉旅行で在るかの如く、
頻繁に利用するのだろう。

其れを数年後の花の降る午後に、
午後の紅茶を飲みながらスナツク菓子等を食しつつ、
たまに個室に籠もって恋人との懐かしの時間を独り楽しむのだけを目的とするなら
ば、
此方も或る程度の妥協をしてやっても善い。

だが、
今回の目玉抉り出しのタアゲツトは、
単に映画というジヤンルを愛するが故に好きな映画の総てを保持しようとする為に、
dvdを買っては投げ千切っては投げる輩である。

其奴等が許せない。

純粋に映画が好きならば、
其の映画の憶い出を封じるべくして、
パンフレツトやサウンドトラツク等の断片的なアイテムが幾らでも存在して居るでは
ないか。

其れ等のアイテムは断片的で在るが故、
憶い出を決して壊さず、
飽く迄も憶い出のサポヲトに徹した存在を成す。

しかし、
dvdを購買すると云う事は、
其の憶い出をほぼ完全に近い形で手中にする事に他成らず、
憶い出の映画を簡単に其の侭の形で自宅でほぼ完全再現されてしまうと云う事が問題なの
だ。

かくして映画は私物化され、
「多数の人間が映画を共有する」と云う最大の価値を喪失する事に成ってしまった。

何度独りで同じ映画を観ようとも、
最初に観た感動を超える感動を得る事は出来ぬし、
映画を所持した処で映画の総てを理解する事には至らない。

なのにdvdをシコタマ買い込む強欲な金玉人種がこんなにも多いのは、
ひとえに、
人が「憶い出」より「記録」を好み出した結果であろう。

是は、
パンフレツトやサントラ等の映画の付属アイテムと映画の関係を、
写真とハンデェカム・ヴィデオ動画との関係に置き換えれば判り易い。

譬えば、
数年前の写真を観て昔を想う時、
眼に映った画像の断片から、
記憶が漠然とした其の場の空気や関連する様々な憶い出を想起させる。

情報が制限されて居るが故に、
人の豊かな記憶が連動する総てをまるで誘い水の如く憶い出を延延と溢れさせるの
だ。

其れに較べ、
ビデオ動画から流れる映像や音からは、
情報が多くリアル過ぎる為に一定の制限された記憶しか蘇らないではないか。

憶い出は美化されもすれば、醜化される事も在る。

だが、
其れでこそ憶い出で在る訳で、
歳月の流れの中で変化するのは、
自己が現在と繋がって連動して居るからこそなのだ。

バカボンのパパなのだ。

特に恋愛絡みの動画は写真よりも記憶を確定させる。
遵って其の映像から流れる総てが、
あさましさに満ちる固定された記録でしかなくなってしまう。

我々が真っ当な成人ならば、
恋愛をそんな記録如きに置き換えて所持するよりも、
憶い出として共に生きるべきだ。

dvdの様に映画を所持する事は、
映画が現在と連動するのを妨げるばかりか、
単なる郷愁の再現に浸るのに時間を奪われるだけの愚行でしか無い。

其の場合の映画は憶い出ではなく、
ただの記録所持物でしか無いのだ。

故に我輩はパンフレツトは買うが、
其の映画のdvdは購乳しない。

其れは云う迄も無く、
映画を憶い出の内に心に留めて置く為だ。

そして、
映画を真に理解する為、
時にはパンフレツトを、
時にはサントラを拝聴し、
記憶の中で名シインを楽しむ訳である。

其れが映画を楽しむと云う趣味なのだ。

其の為、
我輩の中で映画の内容が美化されもすれば、
醜化される事も在り得る。

だが、
其れが自分の成長した証であり、
映画への愛情の証なのである。

異常の様な理由から、
我輩は全面的に映画dvdの発売禁止を狂舌する。

映画など新作を最高の環境である劇場で一度観れば其れで善しッ!!

よって、
dvdはavだけ発売すれば善しッ!!

断じて性交映像は憶い出などではないッ!!

アレは「オカズ」に譬えられるが如く、
現実に絶えずリアルに再現すべき滋養なのだ!!!

過去の名作女優の再発売を促進せよっ!!

新作はマルチアングルで再生させよ!!!

dvdは其の為に発明された機器なのだ!!

君は名器だっ!!!

あえげ、ドルビイ・サラウンド!!

恋人よ、
ハメ撮りするならヴィデオ動画も善し!!

盗撮するのもヴィデオ動画に限る!!

恋人の淫ら総てを映像で保存してみたら?

我輩は渇望している。

世界中のdvd販売店がavのみで埋め尽くされる事を!!

其れが映像メディアの真の活用だと此処に宣言する。

【参考文献】

『人間論』クロード・A・エルヴェシウス
『あの頃ぼくらはアホでした』東野圭吾
『指導と信徒』ハンス・カロッサ
『書簡集』H・ウォルポール
『娘の教育』フランソワ・モーリアック
『松本』松本人志
『これで、あなたもやせられる』岡田眞
『花と花ことば辞典』伊宮伶
『テロリズム』チャールズ・タウンゼント

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2004年1月 1日 (木)

第壱拾六発『報復の蒼い鳥』

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ヒキコモリ系ならぬ、
タテコモリ系の我輩であるが、
近頃、
我国の将来に危機を感じている。

近頃、
知人を含めてメディアから街中迄、
嘆かわしい事に、
貧乏生活を得意気に話のネタにする若手が増加の傾向に在る。

云わずもがな我々の祖国の古えの名言の一つに、
『武士は喰わねど高楊枝』等と云う言葉が在る。

そして、
我輩はこの言葉を非常に好んで居る。

この言葉の何処が素晴らしいかと云えば、
痩せ我慢し、
決して崩さぬプライドを持つと云う大人らしい美学の中に、
微塵の甘えも無い処である。

見方に因っては単なる虚勢と映るやも知れぬが、
我輩の認識としては、
この言葉の真に意味する処は、
何かと他者の弱点を突付いては喜ぶ性質の人間との関係に、
付け入る隙を与えないと云う緊張感に在ると想う。

我輩が偶々食事場にて拝聴した若手学生等の会話の中には、
其の美学の欠片も無い様に感じられた。

奴等の御託を掻い摘んでみると、
この様な感じだ。

【毎日インスタント食品で生活して居る(生活制限)】及び、
【欲しいものが買えない(物欲制限)】等…。

主に独り暮しの生活苦をテーマにした戯言である。

が、
この手の連中に怒りを覚えるのは、
他人に苦労を語る事に因って同情を得様とする甘えに加え、
頑張って居る自分をさり気無く演出して居ると云う点だ。

其処には、
甘えた事をぬかして居る割りにはふてぶてしい迄の、
妙に捻くれたプライドの高さが在る。

其の話を哀れみを持って訊いて居る連中も、
自らより不幸な境遇の人間を知る事に因って、
見返りの快楽を得て喜ぶ愚者とは云え、
貧乏話の語部の、
他人を利用し、
自らを満足させる態度は引いて余り在る程に無礼極まりない悪行である。

奴等は、
【夢に向かって居る俺はテメェなんかと違う】と、
明らかに言葉と態度の端々に主張して居るし、
対象に因っては【俺は独り暮らしで自立して居る】かの様な他人を見下した自慢が混
入したりする。

幾ら独り暮しして居ようが、
断言して、
奴等は自立等して居ない。

其の証拠に他者に依存して自身を癒しているではないか。

奴等は、
他人と云う対象無くして、自らの現在の状況に対する辛さから来る愚痴を処理出来な
いのだ。

其の癖に、
在りもしない夢や未来と云った将来性を盾に、
決して救われないプライドの剣で他人を密かに攻撃する卑怯な遣り口。

大抵の者は、
頑張っている彼等に騙されるのだろうが、
我輩の乳首の黒い内はそうはいかぬ。

そもそも、
貧乏や苦労が素晴らしいかの様なしみったれた浪花節なんぞを我輩は信じて居ない。

我輩が「自伝」は読むが「伝記」は読まないのは其の為である。

幼少より偉人に成りたかった我輩は、
義務教育段階初期に、
幾冊も読破したが、
「伝記」と云う書物は本当に心底下らない無価値な文献であった。

何しろストーリーが総て同じなのである。

幼少時代に苦労を重ねた主人公(偉人)が、
其の後、
世に名を残す迄の法螺話。

此処で重要なのが、
「苦労(=貧乏)」したから偉人が誕生したかの様な記述演出である。

我輩は、
偉人候補として断言するが、
「苦労」したからエジソンが偉い訳でも、
野口英世が偉い訳でも無いのだ。

「努力」したからこそ彼等は偉いのであって、
「苦労」とは全く無関係だ。

類似した言葉に騙されてはならぬ。

無論、
「貧困」と「努力」の間に因果関係は在るだろう。

だが、
伝記書物に記されてあるのが「苦労」だけで「努力」箇所が寧ろカットされているの
は、
この国の発展途上段階に発生した「慰め」としての摩り替えでしかない。

其れが、
未だに根強く誤った美学としてこの国の世間に沈殿して居るのだ。

江戸時代に、
農民を貧困から欺いた様に、
貧困者を欺かんが為に捏造された書籍を、
我々は刷り込まれる様に教育されて育てられたからこそ、
この手の貧乏話を批判する事にある種のタブーを感じるのでは無いだろうか。

しかし、
自立した人間であるならば、
苦労なぞ意地と誇りで黙して語らず、
緊張した関係性の中に他者との親交を深めるべきなのである。

其れが大人ぞ。

其れが男ぞ。

更に云うならば、
じめじめとした蛞蝓の様な世間は、
今宵も弱者を求めて貧困話に同情の環を紡ぐ事だろう。

が、
実は真の弱者は其の手の連中なのである。

自らの弱く脆い自我を、
他者との比較に因って癒して居るのだ。

其の比較依存の度合が高い程、
弱者への同情の念も強く、
自分よりも弱き者に対して手を差し伸べようとすらする様になるのだ。

其れは、
愛されたいと望む人間が、
ペットを愛でるかの様に、
自らを救って欲しいと云う渇望の表れなのだ。

この様に、
自らの貧困を他者に語る弱者と、
弱者の貧困を糧に生きる愚者とが、
傷を舐め合う事で、
この甘えた国は湿りきっているのだ。

そうなれば重症、
死を以って治療すべき虫ケラである。

是が如何に腹立たしい状況か御判り戴けた処で、
狂舌に入ろう。

真のプライド在るならば、
愚痴等零さずプライド・チキンを召し上がれ!!

人生は金玉だ!!!

誤魔化した処で皺寄せが来る!!

貧困だろうが何だろが、
真正面からぶち当たり、
玉砕すべし。

大人は孤独だ。

そして、
孤独に負けない事が勇気!!

愛こそが勇気!!

他者との関係等、
肉体関係以外はいらん!!!!

吠え面かくな禿げヅラ野郎!!!

苦労の山を乗り越えて、
掴むはアノ娘のボイン山!!!

走れ!!!
若人!!!

チルチル愚痴るでは幸福の蒼い鳥は捕まらぬぞ!!!

走れ!!!
若人あきら!!!!

蒼い鳥は、
貴様が無言で華と成る時に、
其の肩で静かに鳴くだろう!!

其れでは、
股、
痔回。

さらば、
ボディコン。

来たれ、
ロボコン。

有難う、
御母さん。

【参考文献】

『偉大なる道』アグネス・スメドレー(岩波文庫)
『避暑地の猫』宮本輝(講談社文庫)
『小さき者へ/生まれいずる悩み』有島武郎(岩波文庫)
『百年の孤独』G・ガルシア=マルケス(新潮社)
『ウィンドゥ!vol.9』(ASCII)
『THE3名様』石原まこちん(小学館)
『安倍なつみ写真集 なつみ』平間 至 (ワニブックス)
『キテレツ大百科』藤子不二雄(小学館)
『和英対照・仏教聖典』(仏教伝道協会)

 

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2001年7月 7日 (土)

第壱拾伍発『生娘の為の男性真理解読法』

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シェイシェイ。
猟奇殺人が蔓延る昨今、
我輩は相変わらず男女の関係についての研究に没頭する毎日である。
其処で今回は、
其の数多くの研究の中から、
女性の為に成るであろう話題を一つ提供したいと思う。

この研究結果が真ならば、
必ずや、貴女は、
デエト時に於ける男性の生理的行動から、
彼の心理を透視する事が出来るだろう。

其れでは本題に入ろうズ。

先ず、
多くの若かりし男士が初デエト時に経験するのが、
緊張に因る尿意の処理である。
其れに加え、
便所に頻繁に行く事に因って、
彼女に不快感と、
在らぬ不安感を招くやも知れぬと云う不安から、
余計に緊張が増幅し、
尿感覚が麻痺する迄に気を遣う者も多いと世間に聞く。

股、
逆に、
女史とのデエトに慣れっちに成った成人男性は、
殆どそんな事など脳裏に描く事すら無く、
彼女と一瞬たりとも離れたくないが為、
女史との時間をフルに堪能しようと、
不自然な程、
尿意を忘却してしまう様だ。

是は、
単純に男性側に何時便所に行っても良いと云う心理的余裕が生まれただけだろうと、
貴女は思うかも知れない。
だが、
我輩が中国約二十年の歳月を賭けて得た研究結果に因ると、
そんなに単純な問題では無い事が判迷した。

実は、
是には腎臓の機能が大きく関係して居るのである。

先ず、
初デエトの場合、
男性は緊張しているが故に、
非常に相手の事を気遣っている。
この時、
彼の脳は限界レベルで活動している。
つまり、
男性の頭部には全身の血液が集中している事になるのである。

そうなると、
頭部に血液が集まり過ぎては危険な為、
体内の腎臓が自動的に血液の量を減少させ様と、
活発に利尿作用を起こすのだ。

そして、
尿で塩分を体外へ排出し、
血液を薄め様とするのである。

だから彼は、
頻繁に尿意を感じ、
便所へ行く回数が増す結果になるのである。

では、
其の逆の場合、
便所に殆ど行かない男性は、
どうなのだろうか。

答えは簡単である。

彼は彼女を手篭めにする妄想の中で、
性器を勃起させているのだ。
医学的に云うと半立ち状態。

要するに、
股間に血液を集中させているからこそ、
脳は全く正常で、
身体は利尿作用など必要としないのである。

此処迄説明すれば、
御判り戴けるだろう。

貴女がデエトする相手が、
便所に行くサイクルを逐一観察していれさえすれば、
貴女は、
彼の貴女に対する恋愛真剣度が容易に把握出来ると云う訳なのだ。
略して「彼が判るドー」。

彼が、
頻繁に便所に席を立つなら、
彼は貴女に緊張感を感じている。
つまり、
貴女に対して、
非常に真剣な気持ちで接しているのである。
彼の海綿体はモウマンタイ。
貴女からアプロオチするなりして、
ゆっくりと恋に落ちる事を御勧めする。

股、
彼が、
長時間便所に行かない男の場合。
この場合、
彼は貴女に対して、
性的な欲求を終始持ち続けていると判断しても善いだろう。
要するに、
彼は車より貴女に乗りたいのだ。
更に云うなら、
彼は、
ちん毛の数だけ貴女を抱きたいのである。

其れを大人の恋と判断するか、
行きずりのズリネタと判断するかは、
貴女次第。
早目に判断を下す事を御勧めする。

だが、
いずれにせよ、
我輩の御陰で、
恋の成行きの総ては貴女の掌に委ねられたのだ。

だから、
生娘よ!!

是からは、
迷う事無く、
泣く事無く、
自由な恋愛をエンジョイしまくるのだ!!!

もう、
彼の男根は握ったも同然!!!
茶店で彼にカルピスを飲ませ、
其れでも便所に行かない彼ならば、
男根びんびん物語。
貴女が彼のカルピスを飲んで仕舞うのだ!!!!

男女の性夜は俺が仕切る!!!
へい!
皆、
処女を捨てよ、
御乱交の旅に出よ!!!!

取り敢えず、
我輩が先行者。
生娘は戴きだ!!

其れでは、
イクぞーッ!!!!!

イチ、

ニイ、

パン、

ダー!!!!!

アントニオ猪木パン発売中。

p.s.
生娘諸君。
因みに、
デエト中の我輩は、
頻繁に便所に行くが、
其れは単純に、
豪快に便器を強姦しているだけである。
だから、
安心してくれ賜え。

《参考死霊》
『現代家族のルネサンス』布施晶子・玉水俊哲・庄司洋子編(青木書店)
『リング』鈴木光司(角川文庫)
『沈黙の春』レイチェル・カーソン(新潮文庫)
『魅惑のフェロモンレコード』みうらじゅん(文春文庫)
『精神世界マップ』別冊宝島16
『伊賀野カバ丸』亜月裕(集英社)
『自虐の詩』業田良家(竹書房文庫)
『ストーンオーシャン』荒木飛呂彦(集英社)

 

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2001年6月11日 (月)

第壱拾四発『童貞の終わり』

ボンジュール。
ちんこじゅーる?

我輩は現在、
数ヶ月に亘る海外遠征の総指揮の狭間に、
白人女子とちゃっちゃと性交を済ませ、
異常に御満悦である。

こんな絶頂の最中にあっても、
決して諸君等へメッセエヂを忘れないのが我輩の偉大さの証明だろう。
感謝せよ。

では、早速だが、
突然に告ろう。

我輩は、童貞である。

日々連夜の如く、
精巧に性交を成功してしまうこんな好色乳黒男が、
童貞であるなどとは可笑しな話だと、
諸君はカリ首を傾ける事とは思うが、
今回の狂舌を以って其の説明とさせて戴く。

其れには、
まず「処女の終わり」から説明せねばなるまい。

処女とは、
つまり女性が生誕以来初めて男性との性交渉を行った結果、
処女膜と云う肉体の一部分を開通されるに至った事実を以って、
其の長き処女時代を終えるものだ。

処女膜と云うものの存在は曖昧模糊としていて信憑性に乏しいが、
「痛み」其の他諸々の感覚と共に、
女性自身に精神的な喪失感を与えるので、
はっきりとした終わりを納得出来るのであろう。
そうして女性は自分が大人に成ったと自覚し、
一チョ前の顔をして俗世を行脚する様になるのである。

しかし、
男性の場合はどうだろう。
男性は女性の様に容易に童貞の終わりを感じているのだろうか?
其処で、
此処に親切にも「童貞の終わり」と云う新説包茎を発狂しようと思う。

物心付いた頃、
初等性教育の段階で、
我々男子は、根ドオムと云う物の装着は、
女性に対してのHケットだとして教えられて来た。
又、其の後、
AAA(アクト・アゲインスト・エイズ)の名の下に、
エイズ・ウィルスから身を守ると云う新たな厚生省の洗脳が加わり、
其れはほぼ義務と云っても過言ではない状況に迄なった。
いよいよ我々は根ドオムの事を「コンちゃん」と呼ぶ程迄、
親しく接する様に強いられて来たのだ。

だから我輩は、
少年時代以降、女性との性交渉の折には、
財布に携帯した根ドオムを装着する事に何ら違和感も無く、
実行に移ってしまっていたのである。
其の刷り込みレベルは強く、
未だに携帯電話よりも携帯に心がけている程だ。

我輩も漠然と根ドオム装備は必要な気がしていたし、
無闇に精子を乱射して子孫を増やしてはならぬと自戒していたのだったが、
或る春風舞う冬の夕暮れ、
ふと、次の様な事を考えてしまったのだ。

「根ドオムが幾らうすうすだとは云え、
男根全体を包み込んでしまうのならば、
我輩の男根は女性器の内面に直接触れた事が無いのではあるまいか?
其れは真の意味で性体験と呼べるのか?
更に云うならば、
我輩の普く聖夜のイトナミ(マイ・ドキュメント)は幻想だったのではないだろうか
??」と。

其の衝撃的事実に気付いた瞬間、
男根は心に撃ち刺さる弾痕と化し、
我輩は意気消沈ぽ、
自らの童貞伝説に囚われる哀しきチェリイ・ボウイと成り果ててしまったのだ。

生での性器挿入。
是が仮に童貞の喪失であるとするならば、
世の男性等の童貞の終わりが、
「本当はいつだったのか?」と云う疑念をそれぞれに問い、
自己確認しなければならないだろう。

我輩の世界最小検索エンジンでは、
切なくも我輩は未だに童貞であるとサーチされてしまった。

確かに我輩は、
女性の口や肛門や乳谷間や素股やらには生で挿入した事は幾度もある。
だが、華びら挿入段階になると、
まだどうしても根ドオム無しには挿入出来ずにいるのだ。

是はまさに、性教育段階におけるトラウマ。
我輩は生殖不能人間にされてしまっているではないか。

是は紛れも無く、
国家転覆を目論む我輩に対する国の厭がらせなのである。
そう。
我輩の跡取を絶やす為に、
幼少時から巧妙に練られた、
我輩を単なるブラック・インディアンへと改造する国家の陰謀だったのだ!!
まさに、
インポ陰謀!!

かくして、
こんな事が許されて善いものか!?
善い筈が無い!!!!

だから、
諸君よ!!
性交時にはゴムの帽子など脱ぎ捨て、
生でファックを共演せよ!!

時代は脱・根ドオム!
薄皮一枚を乗り越えてこそ男女のスキンシップは完成されるのだ!

我輩は此処に宣言する!
明日の彼女が我輩の初体験!!
是迄の女子とのまぐまぐは、
単なる遊戯でしかない!!

貫け!
同志よ!!
彼女の子宮を本当の貴様で大至急突かねば、
FUCK U不満になるだろう!!

だから、
同志よ!!!
ミスター・カウパーなど恐れるな!!
HIVも何のその!!
リン病!
リンボー!
クラミヂア!
総てが男の勲章だ!!!

性病なんぞ伝染って、
伝染して、
伝染るんです!

どんと来い!!!!
同志よ!!
中出しだって糞食らえ!
どすこーい!!!!
根ドオム撲滅会議を大阪ドオムで致そうぞ!!!!

それでは、皆さん、
早口言葉!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

「生ツバ生ちん生ファック!」
                                「いぇい!」
「生ツバ生ちん生ファック!!!」
                      「いょっ!」

「生ツバ生ちん生ファック!!!!!!!」
                                「ほへっ!」

ありがとー!!!!!!!!!!!

2001.6/11   uji-bow

何?
もう、生してるって!?????

生意気云うな!!!!!!!!!!!!!!!!!

…そんな貴様は死刑だ。

《参考資料》
『すべての男は消耗品である。』村上龍(角川文庫)
『死をポケットに入れて』チャールズ・ブコウスキー(河出書房新社)
『変愛論』北野誠(メタモル出版)
『星の王子さま』サン=テグジュペリ(岩波少年文庫)
『がきデカ』山上たつひこ(秋田書店)
『東京ラブストーリー』柴門ふみ(小学館)
『あう入れ歯あわない入れ歯』監修・松本英彦(文園社)
『ドラゴンボール』鳥山明(集英社)

 

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2001年4月 1日 (日)

第壱拾参発『美女補完計画・〈第弐章〉アンバランス・ラヴ』

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ナマステ。

長年に渡り、
美女と不細工男の不釣合い感に疑念を抱いていた我輩であるが、
先頃、ウィッキーさんを装いながら街角標本調査を行った結果、
第1発での『美女補完計画』とはまた別の仮説包茎が浮上した為、
此処に更なる狂舌を展開しようと思う。

街角を見渡せば漂う美女と不細工な男とのカップル。
其れを目撃する度に吐き気をもよおし、
公衆便所で性処理を済ませていた我輩だったが、
よくよく眼を凝らして女史を分析したところ、
其の大半が,
重大な事に10代から20代前半である事が発覚した。
しかも、
若ければ若い程に其の様な不釣合いカップルが多い様に観受けられるのである。

其の瞬間、
目出度く我輩の脳裏に新たな仮説包茎が爆誕。

何故にカップル年齢が若ければ若い程、不釣合いである可能性が高いのか?
其れは同時進行して研究して来た処女理論とリンクする。

先ず、云わずとも理解されるだろうが、
大抵の処女は性通によって内面に変化が生じる。
更に内面の変化が起こると当然、外面に迄も其れは及ぶ。
又、女性は化粧や衣装や微笑等により、
男性以上に変身手段が多類且つ可能である事から、
周囲にもはっきりと悟られる程歴然剥き出しズルズル状態。

其処で此の理論を先程の調査研究対象に当て嵌めてハメハメしてみるとどうだろう。

我輩の推測ではこうだ。
初めは同レベルのルックスだった男性と初めて交際する事になり、
よく判らないままに恋愛道へと突入、
そして挿入となり、
更に挿入、
又もや挿入、
バストは豆乳。
あたかも挿入、
あまねく挿入を重ねるうち、
処女は女性として真の意味で目覚める。

当然、恋愛感情も勘定されるが故に、
相手の男性に好まれる様更に美しくなろうと努力を始める。
其の際、
基が余程非道く無い限りは、
そこそこ現代風な流行を取り入れたファッショナブルな女性へとグレイド・アップし
て行くのだ。

一方、不細工な男性は、綺麗な彼女が出来た安心感に甘んじてしまい、
グレイド・アップするどころか、
彼女の美への進化に反比例して怠慢怠惰の方向へと転がり始めるのである。
事例に因ると,自信を付けた男性は珍宝だけは磨く様である。

従って、当初の二人の間に在ったレベル差が逆方向に広がり、
我々が不自然に思う程のアンバランス・カップルが、
日本列島を顔面シャワーするに至る迄の現象になったと云う訳なのだ。
それではあ官能…。

此の仮説包茎だと、
問題なのは、一人のつがいを観付けた時点で守りに入る男性側の軟弱振りとなる。
女性側の視点から観ると、一途で善いではないかと云う事になるかも知れない。
だが、男性的思考で論ずると、
生殖衝動皆無的姿勢は、軟弱に他ならない。

女性に判り易く説明すると、
男性は絶対に浮気衝動を無くせない生物なのだ。
なのに、自己を琢磨せず、其の願望を持つだけだとすれば、
どちらが人間的に魅力的かと我輩は問う。

女性は確実に基の自分から進化しようと努力し、
同時に其れは相手にとっての愛情の変換とも云えるし、
立派なものだ。

いずれ別の男性と出逢う幸運さえ在れば、
とっとと不細工男性などは捨ててしまうのも上昇志向と捕らえれば善い事なのだろ
う。
我輩は否定しない。

不細工男性が淘汰され、
水泡の如く消滅するのが我輩の願いなのだから…。

だから、アンバランス・カップルの女史達よ!
一念勃起して我輩と出逢いサイトで待ち合わせようぞ。
そして直ぐ様、
ロマンチックび、
三パコ四日の蜜月の旅へと旅立とうではないか!

人生はワン・ツー・パンツ!
フェラフェラ笑って過ごすには、
男の中の男をモノにせよ!!

そんな男はモテたいが為に日々珍宝を琢磨している。
例えばホームペエヂの製作、
狂舌の執筆!

そうだ!
我輩は大器晩成!
手淫は晩せい!!!!

女性の持つべきは、
男を観る目だ!!!
そして、
男はお○こを観ろ!!!

人類進化の為に、
我々は種を絶やしてはならない!!!!

磨け!金玉!!!!!!

男と女が、
切磋琢磨してこそ、
新しいセックスが誕生するのだ!!!!!

是が、性技だ!!!!!

有難う!!!!!!

〈参考資料〉
『エクスタシー』村上龍(集英社文庫)
『恋は底ぢから』中島らも(集英社文庫)
『性技実践講座』山村不二夫(河出文庫)
『ベロ出しチョンマ』斎藤隆介・滝平二郎(理論社)
『浅草キッド』ビートたけし(新潮文庫)
『なにがオモロイの?』相原コージ(小学館)

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2001年3月20日 (火)

第壱拾弐発『募金アレルギー』

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もう、
かれこれヒレハレ、
第12発目を迎え、
我輩の錯乱前線は華開いた模様である。

では、
早速今回も、
ペダンティックに本題に入ろう。

先般、
我輩の頻繁に利用する駅近辺で、
募金活動する団体を瞳にする事が多くなった。

そんな印象を持ちながら、
出先の歓楽街でも付近を見渡したところ、
またもや街頭募金に出くわしてしまい、
我輩は遂に発狂、
此処に大弁を気張る使命感に駆られる事になった。

実を云うと、
此の偏倚集団に対しての疑念は、
かなり以前より募っていた。

しかし、
義務教育の道徳課程に於いて、
偽善ですら善、
若しくは正義であるかの如く洗脳されるに連れて、
どうしても我輩の中で偽善と云い切るだけの自信と覚悟が無く、
其の葛藤に嘖まれていたのである。

だが、
前11発の狂舌を終え、
諸君等の圧倒的支持に済度され、
遂に再度の狂舌を決意した次第である。

結論から云うと、
募金活動をする連中は、
社会正義に陶酔依存した利己主義者である。

此の我輩の審判に口角泡を飛ばして反論する者が、
諸君の中にも居る事だろう。
そんな輩を含め、
我輩から、
先ず彼等に突き付けたい質問が在る。

其れは、
「何故、其の募金活動する時間をアルバイトに充てないのか?」
と、云う疑問だ。

彼等が何人で活動しているか、
正確な人数は把握してはいないが、
少なくとも組織団体と呼べるだけの人数は居るのだろう。

其の全員が、
募金活動しているだけの時間数、
労働して、
其の給金を全額寄付すれば、
募金活動を上回るぐらいの金額になるのではないかと、
我輩は踏んで居る。

要するに、
純粋に貧困に喘ぐ人々の救済を目的として活動しているならば、
我輩の云う様に、
自らの労働力で稼いだ金銭を寄付すれば済むのである。

なのに、
連中は、
あくまでも街頭で金銭を募る事に執着し続ける。

其の表向きの理由の一つとして、
窮地にある人々の状況を宣伝する目的があるだろう。
だが、
其れは逆の視点から観て取るに、
一般人をオルガナイザーする目的も在る。

つまりは、
其の理由すら、
自分達の団体の拡大化を目的とした悍ましき動機であると云える。

しかも、
其れに加え、
心理には其れ以上に、
ボランティア精神を母体とした社会正義を背に、
周囲の人間への自己存在をアピール、
自己満足、
思い上がり等が、
彼等各々の体内に沸々としている様に思えてならない。

では、
此処で改めて、
そう云った類いの募金団体の位置付けについて説明しよう。

先ず、
募金の対象となっている者、
「被募金者」がいる。
そして、
募金に協力する一般の人、
是が「寄付者」である。

では、
募金団体はと云うと、
単に其の「中継ぎ役」でしかないのだ。

此の構図を改めて考えると、
非常に理不尽な気がする。

何故なら、
被募金者が感謝するのは、
募金団体であり、
おまけに募金団体は社会的にプラス・イメエヂも在り、
しかも、
自己満足まで得られる。

其れならば、
我々の様に、
被募金者に同情し、
其れがどんなに少額であっても、
自らの労働力で稼いだ金銭を寄付した人間は、
誰にも其の善行為を伝えられていないではないか。

愛想程度に、
「有り難う御座居ました。」と、
街頭募金の連中に頭を下げられたりもするが、
其れを連中の自己満足の代償と考えると、
我々の善意は、
何処に弾けて消えたのか。
全くが不明である。

是が、
献血などになって来ると、
我々自らが其のまま直接輸血する訳には行かないので、
中継ぎ役は当然必要であるからして、
疑問の余地は無いし、
血液と云う物質が直接的に生命に拘わっているのを根拠に、
納得が行くのである。

だが、
募金の様に金銭が関連した場合、
其れ程素直には納得が出来ない。
其れは、
邪推をすれば、
何者かが全額を搾取している事も十分に考えられるからである。

現に、
此の様な疑問を持つ者は、
我輩の他にも多いだろう。

其の一番の理由は、
募金団体が、
集まった金額の集計と其の利用結果の一切を、
公表しながら募金活動をしていないのが原因であろうと思われる。

我輩は、
他人から預かった金の遣い道を、
報告するのは、
義務であると思う。

其れをしないのは、
他人の善意を出汁にした商売と疑われても仕方が無い。

実際、
去年、
飼い犬の足を切断して其れを出汁に、
路上にて治療費を募っていた男が逮捕されたりしたではないか。

従って、
街頭募金団体は、
募金した人全員に対して判る様に、
結果を報告しながら募金していないと、
誰も安心して寄付出来ないし、
又、
我輩は、
断固として寄付などしない事を此処に宣言する。

人の命が地球よりも重いと云う以前に、
人の善意も又、
金銭よりも重い。

故に、
善意として受理した金銭は、
易々と頂戴されては駄目なのである。

募金団体は、
被募金者に金銭を届けるのではなく、
善意を届けるポストであるべきなのだ。

だから、
同志よ!
善意の行方をしかと見届けろ。
貴様達の汗と涙と精液で得た金銭を、
無駄にはさせるな!

だから、
同志よ!
どうしましょう?

我輩が、
女性に金銭を支払うのは、
善意の証明なのである!

だから、
同志よ!

「街頭募金よりも、
街頭勃起!」
を合言葉に、
我輩と、
勃起団体を設立しようではないか!

そして、
我輩の慰謝料を、
皆で募ってくれまいか。

然らずんば、
ルンバを踊ろうぞ。

其れでは、
股。

2001.3/20 uji-bow

<参考文献>
『現代社会病理学』米川茂信(学文社)
『改訂・現代社会』(あすとろ出版)
『SEX・なぜ?ホント!?読本』(別冊・宝島)
『快楽主義の哲学』澁澤龍彦(文春文庫)
『若きウェルテルの悩み』ゲーテ(新潮文庫)
『優駿』宮本輝(新潮文庫)
『サザエさん』長谷川町子(姉妹社)

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2001年3月12日 (月)

第壱拾壱発『デヂタル・ロコモーション』

酷寒の暖冬の中、
諸君は如何モヒモヒでしょうか?

我輩は、
最近になって、
女史からの応援メエルが男死の其れを凌ぐほど届くようになり、
非常に満腹丸な毎日である。

とは云え、
我輩は男死等の応援も非常に喜ばしく思っている。
だが、
やはり女史からの応援は、
其れを遙かに凌ぎ狂舌意欲を湧かせるバイアグラとなる。
贅沢三昧を付け加えるとすれば、
以後は、
もっと我輩を積極的に誘惑する事を望む。

さて、
そんな中で、
或る中年男性が、
此の『青年の初潮』を音声に拠って公開して欲しい、
との愚案を提出して来た。

なる程とうなる程ではないが、
なかなか小市民らしいアイディアである。

だが、
我輩は是に対し、
いささか怒りのアフガン状態でもある。
因って、
冒頭にて其の者に警告しておく。

我輩の肉声を聴きたいファン心理は察するが、
我輩と貴様とでは、
身分が違い過ぎる現実を改めて自覚すべきである。

肉声とは肉の声と書く。
貴様ごとき家畜民が、
肉など食う事は許されないのだ。
餓死しない程度に粟や草でも食し、
馬車馬の様に働くが良い。

我輩は未冠の帝王、
例えるなら、
蜜柑星人なり。

蜜柑とちんちんは、
皮を剥いてから、
食べようではないか!


其れでは、
ぎりぎり区切りの付いた処で、
本題の導入とする。

是迄、
再三再四幾度となく、
我が『青年の初潮』内で狂舌して来た事だが、
我輩は、
社会のデヂタル化の進行がどうにも心配かつ、
不安でならない。

所詮、
人間はアナログなのであって、
本格的にデヂタルが生活に導入された時、
精神的移行が難しい様に感じるからだ。
此の心理をプラグマティズムに則って例えると、
男根の代わりにヴァイヴレイタァを初めて挿入する様な、
そんな不安感である。

実際、
第拾発目の伝説的テクネトロニック名作『デヂタル・アノミー』内で、
数々の事例を挙げて来た様に、
現段階でさえ、
デヂタルとの関係に振り回されている愚者が増殖している。

なのに、
未だこんな不安定な世の中で、
不安を覚えないばかりか、
急激なデヂタル化を促進する者共は、
無鉄砲な坊ちゃんとしか思えない。

しかしながら、
一言でデヂタル世界と云ったところで、
前回の様な抽象的な中傷的内容では諸君等に伝わりにくいと思い、
もう少し噛み砕いて口移しすべく、
緊急に今回の特製狂舌メニュウを御用意させて戴いた次第である。

今回は、
諸君等の日常に身近な例として、
近未来音楽市場についての話題を提供したい。

先ず、
御断りしておくのは、
今回は、
あくまでも、
悪魔な我輩の未来社会に対する疑問を機軸としており、
何者をも批判する意図ではないと云う事だ。

文句が在れば、
いつ何どき、
誰の挑戦でも受ける。

元気ですかーっ!?

では、
本題に入ろう。

巷では、
パソコンの波及効果として、
音楽は総て配信手段で販売されるかの様に、
未来予想図が描かれてある様に見受けられる。

我輩は、
此の単純な禿げ茶瓶な意見に、
頭に来て、
金玉に来ている。

確かに、
現実として、
ネットのみで新曲のプロモーションをしたりするアーティストも登場し始めたり、
又、
様々な音情報がネットを通してばら蒔かれて来ている。

こんな状況を間のあたりにし、
我輩も其方らへと音楽業界が転向して行くのではないかと、
思っていた凡時期も在った。

だが、
今回、
「未来化」とはそうではないと啓蒙すべく、
狂舌を展開したい。

確かに気になるアーティストの新曲を自宅に居ながらにして、
入手出来る様になるのは便利と云えば便利なのかも知れない。

だが、
我々購買者は、
果たして、
音楽欲しさのみでCdを購入しているのか、
と云う事を改めて考えてみなくてはならない。

諸君は、
Cd屋に立ち寄り、
Cdを選別する際に、
其れを苦痛だと感じた事が在るだろうか?

目当ての物件の発見に手間取り、
面倒な目に合った経験は在るかも知れないが、
大抵は、
Cdに限定せずとも、
他の買い物同様、
其れも含めてショッピングの醍醐味、
気分は悦楽状態だったに違いない。

そして、
自身の欲しい物とは関係の無い物件迄も、
ついでに次々と手に取り、
稀に当初の目的とは別の物をも購買した事が在るかも知れない。
所謂、
衝動買いと云う奴だ。

其れは、
まさしく、
実際にCdを手に取り、
時には試聴し、
音楽の音だけのみならず、
其のパッケーヂに触れた肌触りを誘い水にした、
購買意欲の促進作用なのである。

また、
ネット配信に比較し易い購買方法に、
通信販売と云うものが在る。

例えば、
通信販売にて、
欲しいレコヲドをカタログに見付け、
買うとしよう。

が、
諸君の手元に、
音だけと云う形の無いモノが届いた場合・・・、
・・・是を想像して貰いたいのだ。

諸君は、
其のレコヲドと云う形在る物質が届かずには、
納得して快く金銭を支払う事が出来ないのではないだろうか?

つまりは、
ネット配信だけが、
唯一の楽曲の入手方法になると云う事は、
そう云う事なのだ。

ならば、
「其の代わりコストが安くなる」
と云う意見も出て来るだろう。

では、
仮にCdを製造する総ての機関が消滅したとしよう。
だとしても、
音データのみで納得する様な購買者が幾ら存在するだろうか?
其処が疑問点なのである。

考えられるとすれば、
データを収集する特殊なパソコン・ユーザーだけの様に思われる。

何故なら、
一般の音楽購買者は、
絶対に音楽をデータとして捉えられないからだ。

我々は-音楽にさほど執着しない者を含め-、
音楽とは、
生活に密着したモノだと云う認識が強い。
故に、
日々移り変わるヒット曲などは、
時代に流れる空気の様に共同幻想を与えるのだ。

又、
音楽の持つ芸術性と云うのも大きく関係して来る。
芸術には、
感覚としてリアルな肌触りが内包されてある。
クラシック音楽やオールディーズが未だ生き残っているのは其の為だ。

そして、
殆どの人間が、
形の無いモノに対して、
購買意欲を刺激されない。
つまり、
誰も形無きモノには金など払わない。

以上の様な理由から、
ネットで形在る物体の通信販売は、
近い将来、
其れなりに本格化して行くだろう。
だが、
特に音楽などの形の無いモノは、
データだけの配信化になれば、
文化の消滅にすら繋がる恐れがある。

其処迄は行かなくとも、
はっきりと音楽市場は大きな損失を食らうだろう。

我輩が提言するには、
音楽ソフトの真の未来化と云うのは、
総ての楽曲がPV(プロモーション・ヴィデオ)映像をセットにした様な、
ヴィジュアルとの一体化で楽しめる方向が、
進化の方向として望ましいのではなかろうか。

何も、
総てをデヂタルで情報処理する事が、
未来化なのではない。

我々人間は、
何処迄行こうとも、
自らの肌触りしか信じられないのである。

だから、
我輩は愛など信じない。
信じられるのは、
肉体だけだ!

拠って、
冒頭で指摘した様に、
我輩の肉声を聴こうなどとは、
言語道断!
ちんぽ両断!

されど、
女性に限り、
我輩の肉棒を配信する!

其の肌触りが我輩だ。

だから、
同志よ!
可愛いモノには巻き付け!

中指でGスポットをダブル・クリック!
彼女の喘ぎ声こそ、
貴様のテーマ曲!

女体満足!
目指せ!
喘ぎ声の三重奏!

急げ、
同志よ!
大子宮、
千人斬りするのだ!
そうして初めて、
貴様もやっと馬並みなり!

飛び出せ!
売春!
真っ赤に燃える、
あの遊女に向かって走れ!

ありがとー!
1、
2、
3・・・・、

4、
5、
6、
7、
8、
9、
10、
11、
12、
13、
14、
15、
16、
17、
18、
19、
20、
21、
22、
23、
24、
25、
26、
27、
28、
29、
30、
31、
32、
33、
34、
35、
36、
37、
38、
39、
40、
41、
42、
43、
44、
45、
46、
47、
48、
49、
50、
51、
52、
53、
54、
55、
56、
57、
58、
59、
60、
61、
62、
63、
64、
65、
66、
67、
68、
69、
ダーッ!!!!!!!!!

誰か、
こんな我輩を愛して下さひ・・・。

 

2001.3/12 uji-bow

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2001年2月28日 (水)

第壱拾発『デヂタル・アノミー』

毎回毎度、
我輩の狂舌に対し、
大反響戴き、
再び諸君に満員御礼申し上げたいと思う。

だが、
若干名ではあるが、
我輩の態度が偉そうであるとの、
批判的意見がみられ、
非常に残忍な気持ちでもある。

故に今回、
冒頭から態々そんな輩に、
一言はっきりと断っておく必要に迫られたのである。

宣言する!

「我輩は偉そうなのではない!
偉いのだ!」

我輩こそは、
狂舌のルサンちんマン!
プチブルの唇は封鎖する。

以上の事を御理解した上で、
以下の陶酔の羅列を堪能して貰いたいと願う。
御理解戴けない場合は、
負け猫として直ちに退去する事を御勧めする。

さて、
今回狂舌すべく対象は、
デヂタル世界(ネットなどのサイバー・スペース全般の意)に増殖する愚者に対してであ
る。

是は若干、
『青年の初潮』
第参発の衝撃の問題作『男のステイタス』、
第六発の文学的快作『文明退化の音がする』及び、
次回第11発『デヂタル・ロコモーション』にも関連した内容になるが、
そこそこ御了承願いたい。

我輩は最近になって、
妙ちくりんな体験をした事が在る。
と、云うのは、
メエルを暫く放置しておいただけで、
「メエルは届きましたか?」などと、
返事の催促でもしているのか、
わざわざ電話をかけて来る愚者との遭遇だ。

又、
其の類似パターンとして、
パソコンから我輩の携帯電話にメエルを送り付け、
一言返事を返すと、
直ぐ様、
「今何してる?」などと、
強引に電話をかけて来る種の愚者も存在した。

其れはどちらも、
極めて親しい間柄であったり、
急な用事(例えば翌日逢う約束の内容)が在るならともかくとして、
其の種の連中に限定して云えば、
些細な世間話レベルの内容も無い、
全く以て返答不要な内容なのである。

万一急用ならば、
最初からメエルなど使用せず、
電話で連絡するのが、
当然であるから、
諸君の常識と照合しても容易に御理解戴けるだろう。

ちなみに、
其の両者は、
メアド及び電話番号を、
我輩本人からではなく、
第三者を通して調べ得た知能犯でもあることを付け加えておく。

其の様に、
連中は、
単に我輩とのコミュニケイション手段として、
遠回しにメエル機能を使用してはいるものの、
どうにも配信確認出来ない事が不安でたまらなくなり、
最終的に直接、
電話で生のコミュニケイションを図ったと云うわけだ。

しかし、
此処に不可解な点がある。
実は、
連中に共通しているのは、
パソコンは所持しているものの、
携帯は所持していない、
典型的なパソコン依存症なのである。

福本伸行著『賭博黙示録カイジ』(講談社)の中に、
こんな台詞が在るので援用しよう。

「通信は通じたと信じること。
伝達は伝えたら達するのだ。
それ以上を望んではいけない。」

そう、
奴等は、
パソコンに依存して生活を送りながら、
通信機能を全く信じていないのだ。
是は意外である。

そして、
メエルを送った時点で伝達は達していると云うのに、
連中は更に相手に其れ以上の、
「理解」を要求しているのだろう。

しかし、
哀しいかな、
電話したところで、
会話が続かないと云う事は、
所詮其れだけの中身なのだ。

更に狂舌を弄すれば、
彼等は其れだけの内容しか無い人間、
つまり、
現実世界でも人間としておかしい特別種なのである。
だからこそ、
今回の狂舌舞台に於いて、
我輩は連中の非常識な行動に着目したのだ。

ついでに、
此の様な種を見分ける容易な方法を書くと、
事例からも判断可能な様に、
やはり、
携帯電話と云うアイテムが、
重要なポイントとなる。

携帯電話を所持していない人間は、
現実的に人間と関係を結んでいない事が少なくない。
だからこそ、
連中の一味は今回の様に携帯電話の使用方法を誤ってしまったのだろう。

此の様に、
既に巷に溢れ漏れ始めているかも知れないが、
デヂタル世界の化身であるパソコン機器を所持したが故に、
あたかも自分が別世界に存在しているかの様に勘違いし、
気軽に他者とのコミュニケイションを図ったものの、
失敗、
最終的にはアナログ的手段でコミュニケイションを完結せねば、
どうしても気が収まらない矛盾した者が増殖して来ている。

是を我輩は、
仮に「半デヂタル種」と名付けようと思う。

メル友事情を例にしてもそうだ。
どれ程デヂタル世界で遣り取りを重ねていようとも、
最終的にはアナログ的手段の「体面」無くして、
彼等は収まりが付かない。

其の先、
(男女関係に限定)、
疑似的にでも恋愛に関係が発展する場合も在るが、
其れは御互いが現実世界でも人間関係に問題点の少ない場合だけなのである。
つまり、
デヂタル世界と現実世界を分離せず、
自身のアナログを自覚している「アナログ種」なればこそ、
メル友交際の延長上として、
自然なる現実体面によって、
其れ迄のデジタル世界との同化が可能なのである。

が、
半デヂタル種の様に、
自身のアナログの自覚無しに、
現実世界からの分離症状が行き過ぎた場合、
体面した時点で総てが完結してしまう事になる。

其れは、
連中がデヂタル世界での相手に満足出来ず、
現実世界での相手を感じたくなり、
対面によるデヂタル世界からの脱却を試みた時、
どうしても其処に論理に破綻が生じるからだ。
要するに、
「デヂタル世界とは全く別の関係として、
現実社会での再会をする」、
と云う妙な理屈になってしまうのだ。

したがって、
脳がフリーズ、
関係の完結が起こるのも無理はない。

又、
ネットオークションも同様で、
オークション其れ自体がアナログ手段であるが故、
最終的にはどうしても現実世界での、
面倒かつ、
互いの信用が必要なアナログ的行為、
「取引」が付き纏っている。

此の際、
取引する両者のうち何れかが、
オークションはデヂタル世界での出来事として切断する、
現実的認識の欠落した半デヂタル種人間であった場合、
取引を放棄、
不成立となり、
極端な例としてはネット犯罪へと繋がって行くのである。

誤解のない様に付け加えると、
アナログなのが悪いのではない。
連中が「自分が別世界にいる」と誤解している点に、
大いに問題が在るのである。

其の点、
チャットについては、
デヂタル世界での完結を目的とするならば、
匿名性を適度に利用することによって本音を露呈したりなど、
デヂタルならではの推奨可能な価値を持ってはいる。
其れは、
リアルタイムな相手の反応は、
会話の其れと同質であるからである。
したがって、
参加を続行するには、
現実世界と同等の人間性を要する仕組みとなっているのだ。

以上の理由から、
今回の狂舌の標的となるのが、
デヂタルとアナログ、
此の二つを別々に捉えてしまう「半デヂタル種」と、
其の進化系奇形種「全デヂタル種」である。
此の両者を混同した批判部分は、
以下「デヂタル種」とする。

ネカマではないが、
姿が観えないデヂタル世界では、
普段とは口調が違ったり、
大胆な言動をしたり、
無礼な態度をとる人間がいる。

其れがデヂタル世界と現実世界を分離して、
棲み分けて居る「デヂタル種」である。

我輩は、
そう云う稚拙な感覚でデヂタル世界を利用する愚者、
デヂタルとアナログを別物として区別して生息している愚者は、
真の意味で、
結局はデヂタルを受け入れられない種なのだと判決を下している。

そして、
そんな連中が、
易々とメエルなどを利用する現実に、
愛と青春の苛立ちを覚えずにはいられないのだ。

奴等に其の様な権利など無い。

メエルとは、
改めて云うまでもなく、
アナログ的手法に例えると、
手紙の遣り取りの様な物であるからして、
先ず互いの関係在りきで、
遣り取りは進行されなければならない。

常識的に考えて、
頻繁に手紙の遣り取りをするには、
其れなりの動機が必要なのである。

なのに昨今の風潮として、
メエルならば直接的な人間関係を強要されない事もあってか、
女性もアドレスを教えがちになった事に証明される様に、
気軽なコミュニケイション手段の一つとしての認識が世に広まるに便乗し、
デヂタル種連中は、
メエルの遣り取りが常識的行為と勘違いし、
やおら気軽に他人にメエルを催促するのである。

此の際、
デヂタル種が暴走するのは、
やはり現実世界と分離しているが故、
デヂタル世界なら己は大丈夫だ、
と云う安心感から来るのだろうと思われる。

顔すら知らない相手との関係ならば尚更である。
好き勝手仕放題、
ヤリ放題テレ放題である。

しかし、
此れは明らかにデヂタル世界を現実世界とを分離した連中の、
我が儘でしかない。

そんなデヂタル種が、
今、
街にもネット上にも水母の様に揺ら揺らと浮遊している。

此処から話は複雑に展開する。

此処で、
先に触れた半デヂタル種と全デヂタル種の、
区別を明解に解説せねばならない。

半デヂタル種とは、
要するに、
冒頭に陳述した様に、
デヂタル世界から無自覚にアナログ的な行動に移りがちで、
最終的満足感を現実世界に求める種であり、
全デヂタル種とは、
デヂタル世界に閉じ籠もったままではあるが、
現実世界では決して遣らない様な非常識的悪事・無礼を働く種である。

半デヂタル種は、
其の無自覚さが迷惑で、
鼻に付く程度ではあるが、
現実とリンクしている部分が在る為、
罪悪の程度はしれている。

だが、
全デヂタル種は手が付けられない。
連中は、
完全なる棲み分けによって、
ねちねちとネチケットを無視し、
匿名性をフルに利用した安心感の下に百鬼夜行する、
救い様の無い悪意の塊であるからだ。

此の全デヂタル種については、
数々のネット犯罪事例からみられるように、
行き過ぎると当然、
現実世界の法の下に裁かれる。

しかし、
今のところ、
連中の犯罪に至らない無礼を裁く事は、
不可能に近い。
其れが、
実はデヂタル世界の限界なのではないかと我輩は悶絶する。

現実に人間が演じきる卑劣さや悪意に対して、
デヂタルでは規制しきれない限界と云うものを、
痛切に感じると同時に、
デヂタル世界に果てしない不安を覚えるのだ。

現在、
デヂタル世界は現実世界よりも秩序が無規制状態にある。
此れが完全に消化される迄、
安心してデヂタル世界に出入り出来ないのが現実だろう。

なのに、
デヂタル世界への人類の解放は加速度的に進行している。
果たして、
最も重要な秩序を、
人々のモラルに託す事だけで、
発展がなし得るのだろうか。

此の狂舌が、
デヂタル世界への、
我輩からのアンチテーゼである。

此の問題の解決が為されない場合、
デヂタル世界其のものの没意味化は免れないだろう。

其れを踏まえた上で、
一刻も早く、
安全なデヂタル世界の誕生を希求する。

さて、
続けてアナログ種について改めて、
小匙一杯程度に説明しよう。

アナログ種とは、
デヂタル世界を現実世界の延長として捉え、
デヂタル世界で出逢った者に対しても、
現実世界同様の接し方をする健全な種である。

我々は、
其れが当然の倫理であると確信しているし、
殆どの者が立派にそうしているのだが、
其れだけに、
デヂタル種に素人と判断され易く、
ターゲットにされる危険性が高くなる。

此の狂舌は、
アナログ種の警戒心を活発化する為に、
警告すべく表現されたものである。

我輩は諸君等の団結を強めて行きたいのだ。

さて、
此処まで続読出来た諸君ならば、
何故、
デヂタル種は二つの世界を頑固にも棲み分けてしまうのだろうか?
と云う疑問を持った事だろう。

其れについて、
我輩は以下の様に推理している。

連中は、
多分此の様に考えているのであろう。

半デヂタル種の場合は、
現実世界での人間関係が苦手であるから、
デヂタル世界でならば、
自分の総てを相手に容認して貰えるではないか、
と。

全デヂタル種の場合は、
素顔を晒さないなら、
他人を不愉快にする事などに罪悪感は皆無である、
と。

其処に撲殺に値する真意が在る。

要するに、
半デヂタル種は、
現実で誰からも認められないと云う己を認められず、
別の世界へと逃避しているだけ。

全デヂタル種は、
現実世界と別の世界でなら如何なる行為もいとわない、
戦争における敵地の略奪に似た人間性の喪失。
そして、
デヂタル世界での対人関係の拒絶。

連中は其の様な自分勝手を正当化するが為、
デヂタル世界と現実世界とを無理にでも二分して考えるしかないのだ。

しかし、
改めて云うと、
人間関係は、
其の手段がどれだけ変わろうとも、
未来永劫、
其の人間の本質を問われるものなのである。

したがって、
連中はデヂタル世界だろうが、
現実世界だろうが、
善い人間関係は築けない。
其れは、
連中の人間的本質が、
歪みきっているからだ。

デヂタル世界は、
確かに現実とは別の世界である。

が、
其処での人間関係を限定して云うと、
半デヂタル種は、
先ずは当然、
現実世界での人間に対して、
関係を創造出来るだけの技能を身に付けていなければならない。

又、
全デヂタル種は、
デヂタル世界での人間関係だけを拒絶しているのか、
デヂタルと現実の両側共に拒絶しているのかは知らないが、
何れにせよ、
デヂタル世界を演じ分ける人間性は嘔吐の対象となるべきである。

簡単な理屈だ。
現実世界で駄目な人間は、
デヂタル世界に行っても駄目、
デヂタル世界で駄目な人間は、
現実世界でも通用しないのである。

人間関係に棲み分けなど通用しないのだ。

以上の理由から、
我輩は、
アナログ種を代表して、
デヂタル世界も、
現実世界の延長に過ぎないと断言する。

そして、
此の様に、
我々の住む世界の、
デジタル化が進行するに連れ、
如何に其の機器を技術的に使いこなせようとも、
人間の精神が病んでいては、
当然、
デヂタル世界が形骸化してしまうものなのである。

今の我々は、
デヂタルとアナログの狭間に、
齟齬をきたして戸惑うアナログな動物である。

しかし、
其れは、
罪でも堕落でもなく、
受け止める事さえ出来れば、
恐れること無き近未来だ。

後は、
デヂタル世界を最後の自己中心舞台として暗躍する、
現実世界からの脱獄者を規制し、
淘汰しさえすれば良い。
そうして初めて、
我々は未来をデヂタルに委ねることが出来るのだ。

だから、
未来ある若者よ!
デヂタル世界でも仮面を被ることなかれ!
貴様のマヂカル頭脳パワーで、
如何なる世界も超越し、
消化しろ!

叫べ!
未来ある若者よ!
どんなに世知辛い世の中も、
乳辛い女子よりはマシなのだ!

燃えよ!
キャンプ・ファイアー!
少年時代以降の貴様等は、
燃焼時代だ!

だが、
未来ある岡本よ!
どんな世界が実現しようとも、
性交するのはアナログに限る!
あらゆる穴にログインせよ!
如何に貴様の変態性を、
ガングロ女子高生が勘ぐろうとも、
不特定多数に、
太くて出す貴様の巨根伝説は語り継がれる!

未来はデヂタル!
現実はマヂタレ!
恋はミラクル!

それでは皆さん、
出発ちんこーっ!!

                                 2001.2/28 uji-bow

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